vol.37 あっちこっちに一流芸術家のモニュメント いつも通勤するエリアは美術館だった

ご存知ですか?実はOBPのまちづくりにおいて、ビルを建てる際は「1% FOR ART」と呼ばれる思想をベースにモニュメントを必ず置くと定められています。
なんとなく歩いているOBPエリアですが、実はたくさんのアート作品が点在しているのです。
OBP Style vol37では、モニュメント設置の背景や、何気なく目にしている作品の謎を追いかけます。

1ビル、1アートの決まりがある?

冒頭にも書いている「1% FOR ART」とは、何でしょう?
これは公共建築の建設費1%をその建築物に関連付随する芸術・アートのために支出する運動のことを指します。
はじまりは1935年大恐慌後のアメリカ。ニューディール政策で、仕事を失ったアーティストに対する救援策としてパブリックアートの制作機会を生み出しました。

アドバイザー松本さん

今回、当時の様子を知るOBP協議会のアドバイザー松本敏廣さんにお話を伺いました。

大阪ビジネスパークという「まち」がスタートして50周年を迎える2020年。
松本さんは、OBPのまちづくり当初から、現役の建築士として関わった主要メンバーでもあり、ツイン21の建設を皮切りにOBPエリアの発展に多大な貢献をされた方でもあります。

「まち開き当時は1970年で、この年は大阪万博が開催されるなど、高度経済成長期の真っ只中です。社会的には『企業の社会的責任(CSR)』が強く求められた世の中で、『メセナ』という言葉も流行りました。
そんな背景の中、OBPの建設を進めるにあたり『1% FOR ART』という思想を提案した人たちがいます。OBPで最初に建った3棟(TWIN21・富士通システムラボ関西・ホテルニューオータニ大阪)のビルオーナーと、ビルの設計担当だった建築家です。
彼らによって、OBPエリアにも芸術家の作ったモニュメントが、各ビルの建設時には必ず置かれるようになったのです。」

【編集部厳選】このモニュメント知っていますか?

そんな時代背景とともにスタートしたOBPエリアのモニュメント設置。ここからは「へぇ!」と思わずにいられないモニュメントのお話をクイズ形式でお伝えしましょう。

ツイン21の広場(南プラザ)の石のオブジェが示すメッセージとは?

突然ですが、ツイン21ビルの“方角”について考えたことはありますか?
OBPエリアで最も早く建ったビルのうちのひとつがここ、ツイン21ビル。ここの地権者は、松下幸之助氏をオーナーに持つ、当時の松下興産です。
当時も今も変わることなくパナソニックが本社拠点とする門真から大阪城天守閣を一直線上に結んだ間にあるのが、実はツイン21ビルなのです。

未来門

ツイン21ビルの広場にあるモニュメントは、恐らく多くの方が「石の“何か”」だと思っていることでしょう。
このモニュメントの題名は「未来門」。門真本社と大阪城天守閣を結んだ線上にツイン21は建てられました。その角度は狂いなく計算がされており、未来門の真下に立ってビルを見てみると、ツイン21の2棟のビルが均等に左右に並びます。その時背後には、大阪城が位置しており、まるで、大阪城へ向かう時に通るべき玄関口としての役割を担っているようにも思えます。

旧読売テレビ放送社屋の赤いアレ。込められたメッセージとは?

空の鼓動

新社屋へ移動する前までは、番組の天気予報などで映り込んでいることもあった赤いモニュメントは、テレビの画面を通じて知っている方も多いはず。
この作品は、新宮晋 氏によるもので、「空の鼓動」と題されています。

合わせて記されている内容は次の通り。
《私たちを包み込んでいる壮大な宇宙空間は、静かに鼓動している。
その果てしないリズムは地球の自然や生命たちを育ててきた。だから私たちは、そのリズムに身をゆだねる時、懐かしいような、豊かな気分になる。》

うーむ難しい・・・宇宙規模のメッセージは壮大すぎて筆者に理解の限界が訪れたため、より詳しい情報を求め、読売テレビの方へ調査してみました。
すると過去の社報より情報をゲット!

自然が放つ見えないメッセージを伝えるアンテナのような作品であり、風の動きに反応して千差万別の動きをするモニュメントであるとのことでした。
電波を捉えるお仕事をしているテレビ局ならではのコンセプトですね。

姿も、音も、幻のカリヨン。さてどこに?

「カリヨン」とは、鍵盤や機械仕掛けによって打ち鳴らされる鐘楼の楽器を指します。
実はOBPにもカリヨンの仕組みを持ったからくり時計が2つも存在するのをご存知でしょうか?

いずみホールのカリヨン

一つは、いずみホールのカリヨン。ホテルニューオータニ大阪とOBPキャッスルタワーの間の小路にあります。
1990年、いずみホールの竣工以来今も現役!
30年もの間動き続けているとは涙ぐましいものを感じます。
さすがに音程や演奏時間にズレが生じているようで、当初の音色は今となっては幻。どんな音色だったのか気になりますね。

NECのカリヨンは資料に

さて、もうひとつは、今はもう仕舞われているため存在自体が幻となっているOBPキャッスルタワービルのカリヨン。
これを知る人はほとんどおらず、OBP協議会に残る過去資料によれば、ビル西側、パークアベニューに面した玄関入り口で使用されていたそうです。

現在のカリヨン

かつて盛大に行われた展示会で演出のためにカリヨンが盛り上がりを後押ししたとか。
今もビルにはその名残があるものの、まさに幻のカリヨンなのです。

よく見る大砲っぽいアレ。タイトルをご存知?

HOMMA DEKKA

「え!?」と思わず声を上げてしまいそうなタイトルがつけられているのは、クリスタルタワービル前に堂々と構えている大砲のようなモニュメント。
そう、このタイトルはまさかの「HOMMA DEKKA」です。
寧ろこちらが「それ、ほんまでっか!?」とお返しをしたくなります。

HOMMA DEKKA

作者である流 政之氏は世界的彫刻家であり、ほかにも作庭、刀鍛冶、陶芸、家具デザインまで多彩な造形を行われていたようです。さらには戦時中、零戦のパイロットだったというから驚きです。
明治時代より砲兵工廠として栄えたOBPエリアは、大砲、弾薬、軍事車輌等製造していた過去がありますが、このモニュメントが大砲を表すのか、それとも別のメッセージがあるのかは明確に記されていません。
観る人それぞれに「HOMMA DEKKA」に込められた何かを探るのもまた面白いですね。

石に歴史あり。「残念」と言われる理由とは?

OBP西エリアの最も“尖った先”、OBPリバーサイドプロムナード公園と呼ばれる場所に、ただただ佇んでいる石があります。その名も「残念石」。

時は徳川家による大阪城築城まで遡ります。豊臣家が滅び、地中へ埋められた大“坂”城に代わり、徳川家によって再建する際、各大名が石を大阪城まで運んだと言われています。
献上の際、大名たちはこぞってサインを彫った石を持って行くわけですが、残念なことにお城まで無事辿り着けなかった石たちがいます。
そう、まさに「残念」なのです。

残念石

OBPエリアの残念石は、小豆島にあった残念石を公園建設時に運んできたそうです。
川の向こうに見える大阪城を眺めながら今日も佇んでいる姿は、「残念」が報われたような、あと一歩届かず「残念」なような…なんとも言えない哀愁を感じます。

こんなにあった!OBPは美術館さながら

こちらのマップは、取材を通して確認できたモニュメントを一覧にしています。

これほどの数の作品が置かれているとは、まさにOBPエリアは美術館と言ってもよいでしょう。
また、中には一般の方では立ち入ることのできないビルの一角に置かれているものもあるため、その数は未知数。
見ることのできない美術作品や、50年の時を経て置かれているモニュメントだと考えると、ロマンすら感じられます。

朝の散歩、お昼の休憩、「今日はアレを見に行ってみよう」なんて具合に、まちを巡るのもまた、OBPを楽しむポイントと言えますね。
アートな視点でまちを歩けば、通い慣れたOBPも新鮮に感じられそうです。
知的に感性を磨いて、より一層日常に彩りを与えてみてはいかがでしょうか。

Wanted!

OBP Style では、特集記事のネタを募集しています。
OBP内のイベントや活動、人、場所あるいはOBPに対する疑問、もっと知りたいことなど。
大阪ビジネスパークに関するテーマ限定ですが、様々なテーマを掘り上げていく予定です。
ぜひこのテーマをというのがおありでしたらご一報ください。
ご連絡は『OBPスタイル編集部』まで 

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