vol.52 気分転換で仕事運もUP? OBPから徒歩30分圏内の開運神社

2021.12.20 更新

複数の神社が集まる大阪城周辺。大阪城と言うと、全てが豊臣秀吉に関係するかと思いきや、神社ごとには様々なエピソードが隠れています。
vol.52では、日々を頑張るOBPワーカーの皆さんが楽しめそうな神社をご紹介します。お散歩で気分転換しながら、2022年の運気UPの願掛けもいかがでしょう?

太古の時代より験(げん)が良い大阪城周辺・上町台地

今回訪れたのは3ヶ所。
JR森ノ宮駅から徒歩6分で行ける「玉造稲荷神社」、言わずとしれた大阪城の「豊國神社」、そしてOBPのツイン21敷地内にあるパナソニックの企業神社「白龍大明神」。

太古の時代より験(げん)が良い大阪城周辺・上町台地

はるか昔は、大阪市域がほとんど海であったと言われていますが、大阪城や森ノ宮、玉造のある上町台地は南北に細長く、かまぼこのように盛り上がった半島でした。そして、半島の先端あたりに今の大阪城。
海と繋がっていたことから国際交易の一大拠点となり様々なものが伝え入り、盛えた土地であり、多くの歴史上の人物が活躍した “げん(験)が良い場所”なのかもしれません。

それでは、それぞれの神社へ行ってみましょう!

森ノ宮から徒歩6分「玉造稲荷神社」

「玉造」の地名発祥。専門職「玉作部(たまつくりべ)」のかつての居住地

「玉造」の地名発祥。専門職「玉作部(たまつくりべ)」のかつての居住地

玉造稲荷神社は、JR、メトロ各線の「森ノ宮」駅や「玉造」駅から徒歩で6分。OBPからだとおよそ20〜30分ほどのウォーキングで行くことができます。
上町台地の周辺がまだ海であった頃、紀元前12年の秋に稲の豊作に感謝して玉造稲荷神社が創祀されたといわれています。

「玉造」の地名発祥。専門職「玉作部(たまつくりべ)」のかつての居住地

古墳時代には「玉作部」と呼ばれる専門職の人たちが居住地として利用していたそうです。
「この辺りは難波玉作部と呼ばれ、今の『玉造』の地名が発祥したと言われています。玉作部とは、勾玉類を作っていた集団で、これらの玉が子孫繁栄の信仰に使われたことから、当神社でも子授けや子宝のご利益があるとされています。」
と、玉造稲荷神社の禰宜 鈴木さん。

祀られる神様は、全て女性!女性のお悩みに応える玉造稲荷神社

祀られる神様は、全て女性!女性のお悩みに応える玉造稲荷神社

本殿は、商売繁盛・産業興隆・芸能向上・家内安全・五穀豊穣の神様と言われる「ウカノミタマノオオカミ」を主神にして、「シタテルヒメノミコト」「ワカヒルメノミコト」「ツキヨミノミコト」「カグツチノミコト」の4つの神様がおられます。
そして、境内には池があり、そこには水神様の「イチキシマヒメ」も。

祀られる神様は、全て女性!女性のお悩みに応える玉造稲荷神社

これらは全て女性の神様。ゆえに玉造稲荷神社は別名「ヒメノヤシロ」とも呼ばれており、縁結びのほか、子授け、安産などにご利益があると言われています。
女性の方や、ご夫婦でお参りされる方も多いのだそうです。
また稲荷神社は豊作の象徴でもあるため、「食うに困らない」=仕事に困らないという意味での商売繁盛にも多くの方が来られます。

稲荷神社で、狛犬!?

狛犬メインで、サブがお稲荷さん

稲荷神社というと狐のお稲荷さんを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。しかし、こちらは本殿の前に阿吽の狛犬が並んでいます。

「当社は約2030年前に、食料を与えてくれるという信仰から始まった神社なので、狛犬なんです。その後の稲荷信仰と交じり合い、稲荷神社となっていくのですが、最初のルーツが異なることから、当神社では狛犬がお出迎えしているのが少し変わっているところではあります。」
と鈴木さん。

狛犬メインで、サブがお稲荷さん

ちなみに、末社である『萬慶(まんけん)稲荷社』や『新山(しんやま)稲荷社』には、豊臣・徳川の時代で祀られていたお稲荷さんも祀られています。
「近世に入ってからは、大坂城の三の丸で鎮守神の役割も果たしていました。豊臣時代に大坂城の本丸近くで祀られていたお稲荷さんが、徳川時代になり『豊臣のお稲荷さんを神社で祀ってくれませんか?』と遷座されたそうです。その後明治になってから、新政府へと変わったときにも同様に、遷座されました。
祀られていたお稲荷様が仲良く並ばれて座られているのが時代の流れです。」

OBPエリア内「パナソニック 白龍大明神」

守護神を祀ることで、心のありようを見つめ直す

守護神を祀ることで、心のありようを見つめ直す

「OBPエリアには神社がある」という噂を聞いた方もいらっしゃるのではないでしょうか。ツイン21の北プラザにある神社は、実はパナソニックの企業神社です。
言わずと知れた創業者 松下幸之助氏が大正7年の創業時に、松下家ゆかりの守護神である白龍大明神を御霊分けしたことから始まります。

守護神を祀ることで、心のありようを見つめ直す

今回ご案内いただいたのは、OBPの祭祀の段取りや準備を担当されている宮田さん。

白龍大明神のほか、赤龍、黄龍、青龍、黒龍という5色の龍神を、事業によって配置しているとのこと。

経営理念である「お客様第一」「共存共栄」「ものをつくる前に人をつくる」は、いずれも“心のありよう”が大切であり、素直な心を持って自らを今一度見つめ直す「自己観照」の場になるよう、守護神を建立されました。
企業神社を置くことの意義はここにあるようです。

祭祀専門の担当オファーで仏門へ入った社員

守護神をお祀りする事業場では、毎月開催の月例祭と、年に一度の年次大祭が行事として行われます。
これは、各部門の責任者も参加し、きちんと龍神様へ参拝する儀式だそう。

興味深いのは、全社で一人だけ、祭祀専門の担当者がいるということ。
現在は5代目の祭祀担当となる田中観士さんは、家系も寺社関係ではなく、もとは野球部のアスリート社員として所属されていたそうです。
祭祀担当のオファーを受け入れた田中さんは、1年間京都の醍醐寺で修行を積まれたそうです。
今では頭をまるめられ、袈裟を纏い、もちろん出退勤を管理したうえで、在版地区を中心に祭祀を執り行い、会社の繁栄と従業員の健康・安全を願いご祈祷されています。

「企業神社自体は、他の企業さんでもあったりするとは思うのですが、社員にお坊さんになってもらい、このように本格的に動いていただいているという事例はそんなにないかもしれませんね。」
と教えてくださいました。

鳥居と仏式のミックスされた信仰

鳥居と仏式のミックスされた信仰

「鳥居と神殿がありながら、なぜ仏教の僧侶がお経を唱えるのだろう?」と思った方は鋭い。

日本神道では本来龍という神様はおらず、龍を神聖視するようになったのは中国伝来の思想が元となっており、その後仏法伝来に伴って、龍を仏法守護の神と考えるようになった背景があるようです。
『雲を呼び、雨を降らす力を持つ』と言われる龍王は、五穀豊穣を叶えてくれる神として人々の信仰を集めているとのこと。

OBPに祀られている白龍は、一般的に五行の考え方においては金運・仕事運にも当たるともされています。祭事以外は、所属に関係なく誰でも参拝可能とのことなので、OBPにお勤めの方は是非仕事運UPに向けて毎朝参拝できます。
ひょっとしてこれはエリア内に神社があるからこそできる特権なのではないでしょうか!

年に1度は、ビルの間で護摩を焚く

年次大祭では護摩焚きが行われます。もちろんOBPの白龍大明神前でもきちんと火を焚くのだそうです。
冷静に考えてみると、OBPのクールなビル群の中で護摩を焚く様子というのはかなりギャップを感じられる面白い場面ではないか…?と好奇心から期待が膨らんでしまいます。

この護摩焚きは、周辺からも見ることができるので、気になる方は是非チェック!普段にはないOBPの姿が見つけられそうです。

OBPにいるなら一度は行っておきたい「豊國(ほうこく)神社」

豊國神社よりも人気が高かった白玉神社・七夕神社

豊國神社よりも人気が高かった白玉神社・七夕神社

大阪城と言えばセットで「豊國神社」という名前を思い浮かべる方もいるのではないでしょうか。豊國神社は豊臣秀吉公を祀っている神社です。
元々は京都の豊国(とよくに)神社の別社として、現在の中央公会堂付近に立てられた豊國神社。昭和36年に秀吉公にゆかりのある場所へということで現在の場所へ移転しました。

豊國神社よりも人気が高かった白玉神社・七夕神社

そして、豊國神社境内を見回すと、脇にひっそりと4つの社があります。
そのうちの「白玉神社」「七夕神社」の2社には、あまり知られていないストーリーが。実は、この2社がなければ、豊國神社は今頃大阪城にはなかったかもしれないのです。

OBPエリアの地鎮祭などでもお世話になっている豊國神社の神職さんにお話をお伺いしました。
「『白玉神社』『七夕神社』『玉春神社・玉繁神社』『若永神社』これら4つの神社は、人(秀吉公)を祀る豊國神社に対して、神様を祀る神社となります。
中之島にあった時から北新地の芸者さんなど芸事をされる方が多く訪れた神社だと言われています。
白玉神社の御祭神『ウカノミタマノカミ』はいわゆる『お稲荷さん』として五穀豊穣・商売繁盛に。農業や商工業での崇敬を集めました。」
そして七夕神社の御祭神『ワカヒルメノミコト』は機織りの神様で『若くて瑞々しい日の女神』という意味があり、良縁成就・安産・芸事上達のご利益があるとされています。

豊國神社を陰で支えた神様

豊國神社を陰で支えた神様

神職さんは少し小声で続けます。
「…実は、大きな声では言えませんが、当時は白玉神社・七夕神社の参拝者数は、豊國神社や、京都の豊国(とよくに)神社よりもかなり多かったのです。運営をするうえでは、これらの神社のおかげでもあります。」

白玉神社・七夕神社の人気ぶりは、大正時代前期にあった独立運動でも伺えます。本社である豊国神社から、4つの神社を含む豊國神社が独立する際、当時のお金3万円(現在の1億9千万円ほど)をポンと豊国神社へ渡したという記録が残っているほど。

「今でこそ豊國神社の方が人気となっていますが、当時の豊國神社の礎はやはり白玉神社・七夕神社の神様だったのだと思います。豊國神社がこうして今続いているのもこれらの神社が陰で支えてくださっていたおかげですし、この支えがなければ歴史は変わっていたかもしれませんね。
OBPの皆さんには、是非この神社の存在を知っていただきたいと思います。豊國神社は秀吉公から出世運向上とされていますが、白玉・七夕神社も芸事や商売繁盛の神様でもありますから、働く皆さんにとってもとても良いと思います。豊國神社へお参りに来られた際はこちらの神社も是非お立ち寄りいただければ嬉しいです。我々ももっと大切にしていきたいと思っております。」
と話されました。

お礼参りがあって初めて神様とのご縁が成り立つ

お礼参りがあって初めて神様とのご縁が成り立つ

神社といえば、“神頼み”。
筆者も常に神社ではお願い事ばかりしてしまいますが、「時々お願いしすぎかも?」なんて感じることも少々…。
そこで、神社にお仕えされている側から見て、そのような神頼みだらけでも良いのか尋ねてみました。

「『苦しいときの神頼み』という言葉があるくらいなので、お願いしても問題ないですよ。その代わり、自分で一生懸命に努力をするのが大前提です。努力をしたうえで、最後に『神様、お願いします』とお伝えするのが適切だと思います。そして、叶えていただいたら、お礼に来る。
実はお礼に来る方が少ないんですね。きちんと来る方は、毎月、季節ごとなど、定期的に来られます。お願い事が叶ったり、災難から回避できたりしたときは、是非お礼で来てほしいとは思います。
人間も同じですもんね。助けた相手がお礼も言わずにピューっと行ってしまったら『なんや!?』となりませんか?
きっと神様も同じで、回数を重ねて来る人のことは覚えが良いと思いますよ。」
と、ご回答いただきました。
神様に対しても、人間に対しても、礼節は忘れずにいたいものです。

場所ごとに特徴とストーリーを掘り下げると、2割増しで楽しめる

神社という場所は、歴史、神様、伝説などその場所に纏わる一つ一つのストーリーが深く、本記事にも載せきれない話はまだまだあります。
ただの散歩は面白くない!と思っている方に、運動・知識・発見が詰まった神社巡りはオススメです。(チャンスがあれば神社の方からお話を聞けることもあるかもしれません!)
2022年の運気UPも兼ねて、本記事の神社をぐるっとまわってみてはいかがでしょうか♪

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